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ペリーヌ掲示板

2006年2月


おはようございます。
投稿者 眠夢 投稿日 2月1日(水)06時52分 削除

★3chanさん
 トップページの方は新着情報みたいなものですので、いつも暫くの間掲載してます。
 ペリーヌDVD視聴ですか。そういえば私も暫く見てないですね〜。3chanさんとこは名劇全作品を扱っておられますし、それぞれのDVDを見るとなると膨大な時間が必要でしょうし、大変そうですね。


旧正月終了(らしい)
投稿者 Hiro 投稿日 2月5日(日)22時21分 削除

みなさんサイトの運営までされて、頭が下がります。
たいへんでしょうね。
そのお陰で、私などは意見を言うことができます。
ありがとうございます。
眠夢さんが、当サイトを始められたのは、1998年でしょうか?
インターネットも、まだ、それほどは普及していない頃じゃなかったでしょうか?
マシンも、まだ、あまり速いものがなかった頃では?
先進的でしたね。

旧正月で帰省していた妻が帰ってきました。


おはようございます。
投稿者 眠夢 投稿日 2月6日(月)06時08分 削除

★Hiroさん
 そうですね。ペリーヌ物語の部屋を開設したのは1998年でしたから、もうじき丸8年ということになりますか・・。いつの間にやら時間が過ぎていたって感じです。
 当時はちょうどパソコン通信からインターネットに移行しつつあった時期で、前年に夢のほとりを開設したこともあり、他にペリーヌを専門に扱ったサイトはまだなかったこともあって、それなら自分で作ろうと思って始めたのでした。現在では当時と違ってペリーヌ関連のサイトも沢山出来ましたし、そういう意味では割りとのんびりした気分でやってる感じです。
 中国では現在でも旧正月を盛大に祝うようですね。日本では旧正月と言われてもいつなのかよく判らなかったりしますけれど、それだけ中国の人は伝統を大切にしてるということかも知れませんね。


ご無沙汰しました
投稿者 キャツさん 投稿日 2月15日(水)13時13分 削除

私は以前書き込みしたものです、御無沙汰お許しください。ペリーヌのフアンです
ペリーヌは13歳で、英語 フランス語 インド語 三ヶ国語を、生活のために
に通訳をしていたと、当時書き込みしてくださっていた方がいました。

私は大変感動しました。


おはようございます。
投稿者 眠夢 投稿日 2月16日(木)06時09分 削除

★キャツさん
 以前、書き込みして頂いた方ですか。再訪して頂いてどうもありがとうございます。
 ペリーヌは英語、フランス語ともに堪能で父と母の間で通訳のようなことをしていたというのは原作でも記述があったと思います。インドの言葉についてははっきりとは書かれてなかったように思いますが、インドに住んでた訳ですから恐らく話せたことでしょうね。
 たまたまそういう境遇に育ったというのもありますが、それらを使いこなしてビルフランからも通訳ぶりに絶賛されたのはやはりペリーヌ自身の資質があってこそのことだと思います。


英仏印といえば
投稿者 3chan 投稿日 2月18日(土)11時54分 削除

小公女セーラのセーラ・クルーと同じ組み合わせ…。
すみません、関係なかったですね。
ところで、ボスニアではどんな言語をつかうんでしょう?
イタリアでも問題なく会話していたようですが。


おはようございます。
投稿者 眠夢 投稿日 2月19日(日)06時08分 削除

★3chanさん
 小公女の場合は確かお父さんがイギリス人でお母さんがフランス人だったと思うので、その点は逆ですが、インド、フランス、イギリスという三ヶ国が関係してくるという点では似たところもありますね。
 前半の言葉の問題は、言わぬが花じゃないかと思いますが、後半で言葉の壁が重要な役割を果たすことを考えると惜しいところかも知れませんね。例えばペリーヌが英語圏の国を旅してきて英語が堪能だという伏線を張るようなことが出来ていたら有効だったんじゃないか、というようにも思いますが……。
 或いは強引にこじつけるとすると、ヨーロッパの言語というのはそれぞれ方言のようなもので、日本人が勉強しようとするのに比べるとヨーロッパの国同士だと言葉も体得しやすいという話もありますので、ペリーヌは言語に対する感覚が優れていたので、イタリアやボスニアでもその国の言葉を比較的容易に体得出来た、みたいに解釈することも出来なくはないかも知れません。(^_^;)


国際情勢?
投稿者 Hiro 投稿日 2月26日(日)11時44分 削除

言語の問題、確かに少し難しい点かもしれませんね。
イタリア・スイスは、フランス語に近そうな気がしますけど、バルカン半島は全然違いそうですね。
しかし、以前フランス旅行した時、ある街に地球儀のモニュメントがあって、そこにフランス人が住んでいる箇所が表されていました。
私はそこで、バルカン半島にもフランス人の居住が多い地域があるのを見て、少し驚きました(カナダのケベック州は有名ですけどね)

まあ、日常生活的なことは、身ぶり手ぶりでなんとかなりますよ(いいかげんで、すみません)。
しかし、仕事となると話は別で、フランス人が英語に違和感を持っているということは、昔からよく言われていることですね。

私は現在、仕事で日アニさん(聖蹟桜ヶ丘駅)の隣の駅まで通っています。
最初は、なんとなく嬉しかったのですが、さすがに少し疲れてきました(私の自宅は東京の東端だから遠い)。
最近、私の職場にもインド人が増えてきました。インド本国も、高度成長中らしいですね。
そういえば、私の住んでいる団地にも、サリーを着た人をよく見かけるようになりました。
ペリーヌの時代とは、さすがに隔世の感があるでしょうね。
イギリスの支配は苦しい時代だったでしょうが、今では英語ができることが仕事の上で強みになっているようですね。
皮肉なものですね。
ところで、ペリーヌの故郷はダッカですから、厳密に言うと今ではバングラディシュですね。
こちらは、どのような状況なのでしょう。


こんばんは。
投稿者 眠夢 投稿日 2月27日(月)18時55分 削除

★Hiroさん
 なるほど、バルカン半島にもフランス人の多く住む地域がありますか。フランスというとヨーロッパでは大国ですし、他の国でもある程度は通じていた可能性はありますよね。ペリーヌは英語と仏語と両方使えた訳ですし、そういう意味では旅行中でも会話もある程度こなせた可能性はあるかも知れませんね。
 フランス人が英語を嫌ってるのは、日本でいうと関西人が標準語をあまり好きでないのと似たようなもんじゃないかなぁ、という気がしてます。(^_^;)

 昨今、インドでは経済発展が著しいという話は私も耳にしますけれど、Hiroさんの周囲ではそれを実感するような状況が生まれつつありますか。かつては植民地支配に苦しんだアジアもこれからはヨーロッパを凌ぐような発展をしていってくれるとよいですね。温暖化とか原油高騰等の問題はありますけれど、現在の先進国だけが自分たちの既得権を主張するというのもまたそれはそれで問題がありますもんね。
 バングラデシュはさて、どうなんでしょう。あんまり発展してるという話も聞きませんが……。


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